なぜ、異なる言語間がエスペラント語か

 1 世界平和からの要求

 

世界平和は、全地球人の相互理解を要求する。

全地球人の相互理解は、言語を要求する。

その言語は、全地球人にとって、中立・公平で学びやすい言語を要求する。

従って、全地球人の公用語は自国語とし、異なる言語間の言語は、異なる言語間の言語として、つくられた中立・公平で学びやすいエスペラント語とする。

異なる言語間の言語をエスペラント語にすることにより、全地球人の英知を集めること、又その英知の共有が革命的に進み、やがて国防費は、ゼロになり、教育・社会福祉・社会保障・公衆衛生への予算が飛躍的に増加し、「個人の尊重」の花が満開の国際社会になる。

又、全地球人は、国連に対して公用語をエスペラント語とする要求をする。

 

※エスペラント語は、文法が簡単で外国語を学ぶ基礎になります。また、独習することができます。エスペラント語の文法を学べば、英語の修得が早くなります。

 

※一般財団法人 日本エスペラント協会

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2 エスペラントの創案者 ラザロ・ルドビコ・ザメンホフ(1859-1917)

 

  通い合う地球の言葉 国際語エスペラント (日本エスペラント協会 2016年:15ページ)

 

   「民族と民族が敵する心よ、消えよ、失せよ、時は来たのだ。

    すべての人が家族のように心ひとつになる時が。」

 

  これは生まれたての言葉で、さっそくザメンホフがつくった詩です。その後ザメンホフは、この言語

で詩やエッセーを書いたり訳してみたりしながら、原案にさまざまな改良を加えていきます。

  第一原案ができてから9年間、机上の空論ではなく、実際に使える言語であることを自分自身で確か

めた末に、ザメンホフは1887年に「国際語」の最初の教科書を自費出版します。40頁の小冊子で

した。このときザメンホフは、著者として「エスペラント(希望する人)」というペンネームを使いまし

た。……

  ザメンホフが生まれたのはロシア領ポーランド。ユダヤ人、ポーランド人、ロシア人、入植者のドイ

ツ人などが混住する地で、彼自身はユダヤ人の語学教師の息子として、1859年に生まれました。

  ことばが違い、宗教が違う民族どうし、反目といさかいが日常茶飯事でした。

  「もっとお互いの理解と寛容があれば」と願ううちに、異なる民族を結ぶやさしい共通語をザメンホ

フは夢見るようになったのです。

  彼は、おのおのの民族の言語・宗教が最大限に尊重されなければならないと考えました。宗教につい

て彼は、キリスト教の神も、ユダヤ教の神も、イスラム教の神も、実は1つの創造主であり、同じ絶

対主に異なる仕方で祈りをささげているにすぎないと考えました。

  そして、個々の人間は、いずれかの国家・民族に属するものだという常識の枠をこえて、まず人類の

一員であるべきだ、と考えました。これがホマラニスモ(人は人類の一員であるという考え方、「人類

人主義」)という、彼の思想の根本です。

 

3 国際語エスペラント運動に関するプラハ宣言

 

私たち、エスペラントの発展のための世界的な運動に加わる者たちは、この宣言をすべての政府、国際組織および良心ある人々に対して送り、ここに表明された目標に向けて私たちが不退転の決意をもって活動し続けることを宣言するとともに、それぞれの組織と個人とが私たちのこの努力に加わるように呼びかける。

 エスペラントは、1887年に国際的コミュニケーションのための補助言語案として提唱された後、生命力と表現力に富んだ言語へと速やかな発達を遂げ、すでに一世紀以上にわたって言語と文化の壁を越えて人々を結びつける働きを果たしてきた。エスペラントの使用者たちが目指してきた理想は今なお重要性と現代的意義を失っていない。私たちは公正で効果的な言語秩序のためには以下に述べる原則が必須であると考えるが、いずれかの民族語を世界語として使用しても、また今後いかに通信技術が進歩し、新しい言語教育法が開発されるにしても、これらの原則を実現することはできないであろう。

 

① 民主性

  あるコミュニケーションのしくみが、特定の人々には一生涯の特権を与える一方で、他の人々

にはより低い段階の能力の獲得にさえ多年の努力をつぎ込むよう求めるなら、それは根本におい

て反民主的なものである。エスペラントは、他の言語と同様に、完全ではないが、平等な全世界

的コミュニケーションという領域では、どの競合する言語に比べてもはるかにまさっている。

 言語の不平等は、国際レベルを含めたあらゆるレベルにおいて、コミュニケーションの不平等

を生み出すものであると、私たちは主張する。私たちの運動は民主的なコミュニケーションを目

指すものである。

 

② 民族性を超えた教育

  民族語はそれぞれ特定の文化・国家と結びついている。例えば、英語を学習する生徒は英語圏の諸国、特にアメリカ合衆国とイギリスの文化・地理・政治について学ぶことになる。それに対してエスペラントを学習する生徒は、国境のない世界について学ぶのであって、そこではどの国も故国と見なされる。

 いずれの民族語を用いた教育も特定の世界観に結びついていると、私たちは主張する。私たちの運動は民族性を超えた教育を目指すものである。

 

③ 教育上の効果

  外国語を学習する人の中で、それを習得できる人の割合はごく低い。それに対してエスペラントの習得は独習によっても可能であり、他の言語を学ぶための予備的学習としての効果についてもさまざまな研究報告がある。また、生徒の言語意識を高めるための教科においてエスペラントを中核に位置づけるよう勧める声もある。

 民族語の学習は難しく、第二言語の知識があればそれによって益を受けるはずの多くの学習者にとって常に障害となり続けるであろうと、私たちは主張する。私たちの運動は効果的な言語教育を目指すものである。

 

④ 多言語性

  エスペラントの共同性は、その構成員が例外なく二つ以上の言語を話すという、世界的規模の言語共同体としては数少ない例の一つである。構成員はそれぞれ、少なくとも一つの非母語を会話のできる程度まで学ぶことを自己に課している。多くの場合、このことは複数の言語に対する知識と愛着をもたらし、ひいてはその人の視野をより広くすることにつながっている。

 どの言語の話し手にも、その言語の大小を問わず、コミュニケーションが可能な高い水準まで第二言語を習得する現実的な機会が与えられていてしかるべきだと、私たちは主張する。私たちの運動はその機会を提供するものである。

 

⑤ 言語上の権利

  言語間に力の不平等があることは、世界の大部分の人々にとって、言語的な危機感をもたらし、ときには直接の言語的抑圧となっている。エスペラントの共同体では、母語の大小や公用・非公用を問わず、互いの寛容の精神によって、中立の場に集まっている。このような言語における権利と責任の間のバランスは、言語の不平等や紛争に対する新しい解決策を進展させ評価するための先例となるものである。

  いずれの言語にも平等な取り扱いを保証する旨が多くの国際的文書に表明されているが、言語間の力の大きな格差はその保証を危うくするものであると、私たちは主張する。私たちの運動は言語上の権利の保証を目指すものである。

 

⑥ 言語の多様性

  諸国の政府は往々にして世界における言語の多様性をコミュニケーションと社会発展にとっての障害とみなしがちである。しかし、エスペラントの共同体にとっては、言語の多様性は尽きることなく欠くことのできない豊かさの源泉である。したがって、それぞれの言語はあらゆる生物種と同様にそれ自身すでに価値があり、保護し維持するに値するものである。

  もしコミュニケーションと発展に関する政策がすべての言語の尊重と指示に基礎を置くものでないならば、それは世界の大多数の言語に死を宣告するものであると、私たちは主張する。私たちの運動は言語の多様性を目指すものである。

 

⑦ 人間の開放

  いかなる言語も、その使用者間のコミュニケーションを可能にすることによって人々を自由にしている一方で、他の人々とのコミュニケーションを阻害することによって不自由にもしている。全世界的なコミュニケーションの道具として立案されたエスペラントは、人間解放の大きな実際的事業の一つである。すなわち、すべての人が各自の地域文化や言語的独自性にしっかりと根ざしていながらそれに制約されず、人類の共同体にその一員として参加することを可能にする事業なのである。

  数か国の民族語のみを使うことは自己表現やコミュニケーション、連帯の自由に対する障害となることが避けられないと、私たちは主張する。私たちの運動は人間の開放を目指すものである。